西日本豪雨の時期になれば、思い出す。
親戚のおばちゃんが入院してしまったこと。
大雨で、大変なことが続きました。
熱海をはじめとする亡くなられた方への哀悼の意、まだ見つからない方が見つかるように願い、両方の気持ちをここに載せることになります。
広島には、8月6日同様、忘れがたい一日があります。
西日本豪雨があった日です。7月6日です。
死者224名、行方不明者8名、負傷者459名(重傷113名、軽傷343名、程度不明3名)
住家全壊6,758棟、半壊10,878棟、一部破損3,917棟
床上浸水8,567棟、床下浸水21,913棟など
(平成30年11月6日現在、平成30年度消防白書より)
気象庁のサイトを引用させていただきました。
私は幸い、被害らしい被害はありませんでしたが、親戚に西日本豪雨によるダメージを受けた人がいました。
母の義姉です。気が強く、言葉も悪く、夫の実家にいても強気の言動をとるという武勇伝を持つ人でした。母は少し怖がっていました。
これらの画像は、防災白書からいただきました。
安浦町の自治会長さんのインタビュー、そしてその最中に現れた行方不明の飼い猫を覚えていらっしゃる方もいるでしょう。会長さんご夫妻、猫ちゃん、お元気でしょうか。
テレビに映る画像に衝撃を受けた人も多かったことでしょう。
武勇伝のあるおばちゃんでも、姑である私の祖母の名前を聞いても「誰?」と言うなど、周りから認知症ではないかと言われていました。確かに、そう思われても仕方がありません。姑の名前を、姑が住んでいたところがわからない…ばあちゃん、迫力不足だったかな?
それでも、おばちゃんは一人息子(娘は結婚後、別居)と一緒に暮らしていました。息子の立場からすれば、働きながらも在宅介護です…改めて文字にすると、辛いものがあります。
今になれば、働きながら、特に支援もなしで認知症の症状を持つ母と暮らすことは大変だったでしょう。
そこへ、さらに大変なことがきました。それは西日本豪雨です。
この日、親戚と同居する息子(私のいとこ)は、あまりの豪雨で会社から帰宅できませんでした。通勤に使う道が遮断されてしまったようです。帰宅困難だったということで、地元のテレビでインタビューを受けたみたいです。
1人だけの夜、いくら気の強いおばちゃんでも、認知症ながらに心細さはあったかもしれません。大雨の中、外に出て、骨折したといいます。
大雨の中、外に出た認知症の女性の話、少なくとも3件は読んだり聞いたりしました。なぜか、女性。
雨が降ると頭痛が起こりやすいように、雨と認知症には何のつながりがあるのか、不思議で仕方ありません。
結果、おばちゃんは入院、ますます認知症が悪化してしまったそうです。
正月明けに娘一家が来た時(まさか7月から正月まで、一度も実家に帰らなかったのではあるまいかという疑問はありますが)、娘の顔を見てもわからなかったのです。
このことが、施設に入るきっかけとなったと、後から別の親戚から聞きました。どんなタイプの施設か、わかりませんでしたし、それ以上聞くのは良くないような気がして、聞けなかったし、話題にしませんでした。
母があのおばちゃんのことをどうしているのか、熱心に聞いたから(単なる認知症のこだわりと思われます)、親戚がおばちゃんの息子に聞いてくれたのです。
それから数年後、おばちゃんは亡くなりました。
葬儀の最中、特養からの弔電が読み上げられ、おばちゃんの認知症が本格的だったと知ることになります。
コロナ禍のせいか、人と交わりたがらないおばちゃんの意思をくんでか、わかりませんが、うちうちだけで四十九日を済ませられました。
ついでに書かせていただくと、葬儀では、自家用車の人だけ火葬場に行ってくださいと言われ(これは葬儀屋さんもかなり言いにくい言葉だったでしょう)、ずいぶん切ない思いをしました。クルマがなければ、火葬場に行けない事実。私が免許をとろうと思った、きっかけの一つです。
話を戻します。
誰もが、防災について考え、少しでも多く行動に出ることを求められるようになってきました。要介護者がいる場合、どうするのか。先回りして考えても、どうにもならない面があるものの、少しは役に立つかもしれません。
在宅だったら自分らで考えていく必要がありますし、施設入居だからと丸投げにせずに介護者として考えていく必要があると思われます。
おばちゃんのように、雨の中を出てけがをする人がでないようにしたいです。