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認知症の母(要介護2)と暮らす日々。家族として何ができることがあるか、探っています。

すぐに、全部忘れてしまうわけではない… <認知症>

よく言われる言葉ではありますが、本当のことです。

認知症患者とかかわった方から、よく聞く言葉が、「すぐに、全部忘れてしまうわけではない…」「誰だった、いつ認知症になるか、わからない」です。

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これは、介護に携わっている方だから、介護者の方だからこそ、素直に聞ける言葉なんだなと思います。「お客様は神様」は、お店の人だから言える、それと似ていますね。

 

タイトルにちなんだ話を書いてみます。この話を女性にすると、反応されることがあるので、介護の間の小話として読んでいただければ、ありがたいです。

 

母の姉は、認知症になった義母(以下、義母さん)の面倒をずっと見ていました。

介護保険なぞない時代。地元から離れた生活。参観日も行かず、ずっと一人で介護をしていました。

夫の姉弟は、ほとんど来ません。夫の姉が来るときは、彼氏との旅行のついでだったそうです。ちょっと顔をのぞかせて、旅行に出かけられました。彼氏との旅行前に、母親の症状を聞きたくないが、でもPRだけはしておきたい、そんな心境かと思われます。

 

義母さんは、ご飯を食べたことも忘れていきました。目の前に、食べ終えたばかりの皿があっても、です。

ごちそうさま、と手を合わせて、そのままずっと手を合わせているので、どうしたの?と声をかけたら、さぁいただきましょう!と言われ、見て見て、このお皿!食べたでしょう?と言ったと又聞きで知りました。否定をしない、これは認知症患者の介護者に向けられる言葉の一つですが、義母さんはああそうか、と特に反発したりすることはありませんでした。嫁姑間の良好な関係性があったからこそだと、思われます。

 

ただ、その義母さん、時々何かをつぶやいています。地名に聞こえますが、誰からも聞いたことがありません。

ある日、おばは「おばあちゃん、何を言っているの?」と聞いてみました。義母さんは、重い口を開きました。

 

すると、いつも何か言っていたのは、夫の二号さん、つまりおばからすると、舅の二号さんのゆかりのある地名だったのです。二号さん、って今頃聞きませんね、人権関係でひっかかるでしょうか。今の言葉に直せば、義父の愛人に関係する土地の名前だったのです。

 

舅は、戦前は裕福だったらしいので、そのころの人でしょう。終戦を迎え、月日が経っても、忘れがたい、忘れようもない憎しみが毎日のつぶやきにあったのです。

 

おばは、すぐに言いました。かなりひどい言葉が入っていますが、聞いたままに書きます。

「何、その聞いたことのない地名。どうせ、そんなド田舎に住んでいるような田舎娘が、美人であるわけがない!お母さんのほうが美人に決まっている!」

すると、義母さん、明るい笑顔になって、ありがとう、と言ったそうです。

 

食べたことをすぐ忘れるぐらいになっても、どうにも忘れられないことがある。ぶつける相手はいないが、それでもやりきれない思い。

そして、自分をすぐに慰めてくれる人がすぐ目の前にいる、しかも娘ではなく、長男の嫁。ただ一人。

義母さんには、わかっていたのです。記憶がなくなっていっても…。

 

人間は、そういうものなのかと思います。

できればぼけずに死にたいものですが、ありがとう、と言えるぐらい、自分を保っておきたいとも思ったことも一緒に書き留めて、今日のブログは終わりにします。