今日は七夕。
それどころでない、大雨が気になります。
熱海、山陰と大雨による被害が続きます。亡くなった方へは哀悼を、無事だった方には何ができないか考えています。日赤とかコンビニやスーパーなどで、展開されるであろう募金活動に微々たるながら協力することが、まず私ができることかと思います。
同時に、防災について改めて考えていこうと思います。広島には、3年前の西日本豪雨の記憶があります。少しでも被害を少なくできるよう、一家の長として考えていきます。
話は変わりますが、今日は七夕です。
伝承では、年に一度しか二人は会えない、晴れていると会えると聞きました。
しかし、今思えば、雲の上は晴れ渡っているから、きっと織姫と彦星は会えているのではないでしょうか。むしろ、下に広がる雲はまるでカーペットのようで、久しぶりに会う場所は明るく光ると思います。夜は漆黒がベルベットのように広がっているかもしれません。たまにしか会わないから、新鮮かもしれませんね、って、ここまで書いていてなんですが、身も蓋もありませんね。
たまにしか会えないって、まるで介護中の家族のようです。
私の場合、姉にはいずれ来るだろう、姑のお世話のために体力を温存していてほしい思いもあります。胸の内を書くと、しょっちゅう来られるとこちらが疲れるという、悲しい現実があります。
今日、ラジオで七夕について、取り上げられていて(たぶんネタの一つでしょう)、そこでやっと季節を知りました。
子どもがいなかったり、スーパーやデパート、学校、老人施設など、否が応でも季節を感じる職場にいない限り、私の季節感は段々と抜け落ちていくのでしょう。それは地味に怖いです。
視覚で、聴覚で、時には味覚で味わっていた季節感が薄らいでいくのです。
体中の感覚でつかんでいたものがわからなくなることは、脳の刺激がなくなっていくことにつながりそうで、それはそれで由々しき問題です。
私は認知症にならない!って、言いきれませんものね。
七夕ということで、笹に因んだ、画像を載せますね。
この拙文を読んでいただいている皆さん、もし、短冊があれば、なんて書くでしょう?
私だったら、
「認知症が治る病になりますように」
「介護が苦しい言葉の代名詞から変わっていきますように」と書きます。
へまぬるいと思われるでしょうが、正直毎日が辛い、人さまの話を読んでも辛い、そんな私には、介護が暗くてしんどい言葉から、脱却できればどれだけの人が救われるのか、と思います。
そして、多くのしんどい皆さんが楽な気持ちになれるといいなと思います。
無理でしょうけど。無理でしょうけど、願わずにはおれません。