こころも元気に。楽しくいきましょう!

認知症の母(要介護2)と暮らす日々。家族として何ができることがあるか、探っています。

作話について、思うこと。

皆さん、どうしているのでしょう?

お医者さんは、「(妄想話でも)肯定して聞く」「否定・訂正したりしないように」とおっしゃいました。うそじゃろ!と思っても、うんうんと話を聞く。突っ込んだり訂正したりすることで、悪化することがあるそうです。最近のことですが、オウム返しするという手法もあると、ある方のブログで知りました。

 

作話とリンクしていると思われるので書きますが、お医者さんからは、認知症患者の妄想は、数日、数週間、数か月単位で続くことがあると教えてもらいました。母の妄想話は、せいぜい数週間で終わることが多いように思いますが、人の話では数年単位での妄想話が続くこともあると知り、油断ならないところです。数週間続くだけでも、結構しんどいです。

 

何か物がなくなると、亡父の兄のせいにするのも、一種の妄想でしょう。物がなくなるのは、母が関係していることが多いのに。よく物取られ妄想は、一番近くにいる人(配偶者・娘さん・ヘルパーさんなど)がターゲットになるといいますが、母の場合はめったに会うことのない叔父(母からすれば義兄)に向かっています。

私に矛先が向かうよりは、はるかに楽ですが(おじさんごめん)、えんえんと聞かされるのは、やはり辛いです。変則的ともいえる物取られ妄想は、何年も続いています。

 

普段の会話でも、作話が多いです。作話の中にも、「うそー」と思ってしまうのもあれば、思わず信じそうになってしまうものもあり、作話のレベルは様々です。

最近の作話もあれば、私が産まれる前の作話もあります。妄想は、時空を超えてしまうようです。現実と希望と思い込みの狭間で、妄想が生まれていると感じます。

母が信じ込んでいることは、作話のレベルが高く、ふわふわした中で作られた話は、私でさえわかってしまうものかと思いました。

 

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もうちょっと、増やそうかしら。

ただ、母の名誉のために書きますと、いつも作話をしているわけではないです。

この言い方もどうかと思いますが、時折、すごいほら吹き状態になる感じです。乱暴なたとえになりますが、台風も大雨も、いつも来るわけではないのと同じですね。

どうして、こんな誰にとっても、役にも立たない妄想にかられるのか?妄想話を言ってしまうのか?認知症は、本当に不思議な病です。