「認知症の本人の声」を読んで <認知症><家族>
そういえば、本人の声はあまり見聞きしたことがありませんでした。
毎日、認知症家族のブログを読んでいます。
しかし、当事者本人がどう思っているか、あまり聞いたことも読んだこともありませんでした。
この中で、忘れがたい言葉がいくつかあります。
社会の一員として、何かの役割をもちたい。
社会の一員と認められたく、仕事がしたい。
実際には、この方が願われているような、対応は難しいように思います。
まず治らない。何度も同じことを聞かれて、笑っている人はそういません。
この方は、発症前は頭脳明晰で、性格も良い方だったのではないかと思います。
はっきり言って、認知症を患うと、頑固になったり、性格の良くない人がさらにたちが悪くなったり、警察沙汰になったりする話はよくあります。
私の地元でも、職員さんを入居者が刺して、殺人未遂で捕まったニュースがありました。80過ぎて、病(と言わせていただきます)のせいで、犯罪者となって、公表されるのは辛すぎます。そして、家族にも友達にも世間にも見放される…・悲しいです。
「人間が人間でなくなる病気、しかも治らない」「その病への怯え」が、この病気をさらに偏見を増幅させてしまうし、症状の悪化が際立ってしまうのではないかと思いました。本人・病に向き合うこと、偏見をなくすために知識を入れることが元気な人の数少ないできることです。スキルはこの先にあるのかと思います。
病に向き合うこと…それは、覚悟ではないか、と個人的には思っています。母の病を受け入れる覚悟。それは私にあるでしょうか?まだまだだと思っています。
でも、一人で母をみるつもりはありません。プロの手、お医者さんに力をいただくつもりでいます。自分ひとりで面倒をみていたら、間違いなく良い方向に向かない気がします。母が気持ちよく過ごしてもらうためには、複数の人の手を借ります。
逃げない代わりに、いろんな人の手を借りる、できることは私自身もやる、そのつもりでいます。
この方が病気が進んでいなければよいのですが。
認知症の改善、完治ができる世の中になることを強く望むとともに、私たちに何ができるかどうか、改めて考えようと思いました。