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認知症の母(要介護2)と暮らす日々。家族として何ができることがあるか、探っています。

認知症は、絶望だけの病気なのか?<認知症>

認知症と言えば、いい話はまったくない、そう思えますが…

日々、認知症をどうにかならないかと取り組んでいる私は、時に思うことがあります。

認知症は、完治することがない病です。性格が悪くなって暴れたり、セクハラ・パワハラが出るとか、徘徊する、排せつを失敗するなど、家族をはじめとする周囲を困らせる症状を、目にしない日はありません。忘れていくことの辛さより、BPSDの辛さを日々のブログに書き留めていらっしゃる方のなんと多いことか。

 

実際、私の地元でも、ホームにいたおじいさんが職員さんを刺して、現行犯逮捕されていました。(職員さんが無事でよかったです)

 

「容疑者」が悪いことをして捕まった人ととらえられているように、認知症と言えば、絶望を表す言葉になってしまったように思います。人権諸々考えて、ソフトな言葉にしたはずが、逆に人を辛くさせてしまうものになっていく…。

 

母も認知症と診断されて、これ以上BPSDが悪くなったらどうしようと、私は不安でいっぱいでした。あれから1年以上経ってわかったことは、すぐに大変な状態になるとは限らないことでした。ほかの人たちが書いておられるとおり、妖怪にも、化け物にもなりませんでした。忘れて大変なこともありますが、まだ人として保っています。きっと、大変なことになる前に、勉強する時間をくれたのかなと思います。母とすれば、不出来な娘を見ていると気がかりで、ぼけている時間がなかったのかもしれません(泣)

 

確かに治らないし、とんでもない姿・言動を人に見せてしまうという点では、絶望しかない病です。絶望しかないのかというには、少し違うように思います。

きっと、病気によって、私が試されているのではないかと思います。

 

せめて、BPSDは悪化させないようにしたい。人に迷惑をかけないようにさせておきた。これは、家族のエゴ以外なんでもないでしょう。本人の尊厳を守れるよう、家族ができることは試してみたいと思っています。

 

今後も、デイの皆さんやかかりつけの先生のお世話になると思っています。

ただ、任せきりにするのではなく、こちらも、プロの皆さんの邪魔をしないように、せめて心がけだけでも、勉強するつもりでいたいです。

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この間まで、母を喜ばせていたカレンダーの写真です