どこで違ってくるのか、それが問題だ…
廃墟と今も人が住める集合住宅。
何か月か前の話題になりますが、いまだに不思議に思う話題がありますので、書いてみます。
先日、某県某所(広島ではない)で築40年を超える集合住宅が有名な廃墟となっており、取り壊しについて議論されていると新聞で読みました。地権者が全員そろわない中、安全性を考えると壊したほうがいいのか、話し合われているそうです。
ある日、テレビを見ていたら、楽器を作るようになった男性とその妻が紹介されていました。二人が住む集合住宅は、二人の年齢をはるかに超える、築40年以上のものだそうですが、古さを感じない、むしろどこか新しさを感じるものでした。内容も明るいものだったこともあります。撮影した日が晴れていた、塗り替えされていた、様々な要素があると思いますが、前者とまったく様相が異なります。
かたや、地元でかなり知られる廃墟。かたや、夢と希望がある集合住宅。
どうして、こんなに違うんだろう?と言ったら、親戚の子が空気が通るか通らないかで、違うのかもしれないと言いました。
あくまでも、想像に過ぎませんが、閉めっぱなしと窓が開いた状態では、確かに変わってきそうです。
それって、人間と同じではないかと思えてきます。
いつも、誰かとコミュニケーションをとっている、知ろうという気持ち、感性が開いている状態。それがあるかないかで、生きる道もだいぶ違ってくると思います。年をとっても、脳が縮んでしまっても、認知機能が生きていた人たちは、そんなところにあるかもしれません。
脳トレもいいですが、認知機能をいかし続けられるよう、小さなことからはじめていこうと思います。
認知症は完治できないし、難しいですね…どんより。